若さゆえのこと

若さゆえのこと

先日、パソコンの整理をしていました。

すると大学生のころに作成したレポートなんかがでてきたりしてものすごく懐かしかったです。

私は関西の大学の法学部の出身です。

小さいころから法律に関する本を読んだりするのが好きでした。

まぁ、世間一般的にはちょっと変わった子とでもいうところでしょうか。

あの頃はまだ法律というものがどういうものかはわかっていなかったのですね。

今でももちろんわかっているといことではないのですが、それでもあの純粋に法律を学ぶのが楽しいというだけの感情ではなくなってしまっています。

まだ学生になりたての頃は、これでも弁護士を目指していた時期もありました。

でも、少し勉強すると矛盾というものがたくさん見えてくるのですね。

そして絶望する。

私がしたかったことはこんなことではない、と。

今思えば若いなと思うのですが、当時はちょっとでもまがったことや理にかなっていないことなんかは許せなかったのです。

まぁ、それはそれで大事な時期だったと今では考えています。

最近ニュースでも復興に関する予算の一部が、直接的には被災地と関係のないところの予算として使われていると報じられていますね。

どうしてそのようなことが起こるかというと、法律にある一文が盛り込まれているからです。

まだ学生だったころは、法律で救えるものがたくさんあると正義感で燃えていました。

実際救えるものも多いと思います。

でも、法律では世の中の不平等は解決しないんだなとわかった時に、法律の無力さというものを痛感しました。

今考えると当たり前です。

でも、当時の私にとっては天と地がひっくり返るほどの衝撃だったのです。

そして、私がしたかったことはこんなことではないと思うようになり勉強をやめてしまったのですね。

もしもう一度学生のころに戻れるのならば、私はしっかり法律の勉強をして弁護士をもう一度目指すでしょう。

大きなことはできなくても、小さいことの積み重ねがきっと大きいことにつながると今なら思えるからです。

今からでもできることを考えて何か行動を起こしてみたいと思います。

千葉でお見合いパーティー

献立を決めてから

あなたは献立を決めてからスーパーへ行きますか? それともスーパーで食品をみながら献立を決めますか?

あらかじめ献立を決めていったほうがロスがなくて、忘れ物もしないものですし、無駄な食品を買うこともなくていいような感じがします。

でも献立にもよりますが、行ってみたら使う材料の食品がなかったとか、他の肉は大安売りなのに予定していた肉は高かったとか、実際に買い物に行ってみないとわからないこともありますしね。

どちらも一長一短というところでしょうか。

私はだいたい献立を決めてから行く派です。

スーパー行ってからだとすごく迷うたちなんですよ。ああ、今日はかじきまぐろがこんなに安いからこれを使いたいなぁ、でもガッツリ肉も食べたいなぁ、そういえば果物がなかったなぁ、みたいにウロウロ売り場を旋回しちゃうんです。その上、肝腎の「醤油がもうなくなる」とか「サラダ油を買わなくちゃ」みたいな必需品を買い忘れたりするんでメモは必須です。

だから、まぁ、ちらしとか出ていればそれを参考に、おおまかな献立はたてていきますね。豚バラが安いから角煮にして、あとはポテトサラダに、何か和え物を一品、みたいにですね。

それと私自身、家でちまちま献立を考えるのがけっこう好きというのもあります。パートですけど仕事の日はほぼフルタイム状態なんですが、その通勤途中とかもスマホとかでチェックしながらメモつくるのがいいんです。そういう時のほうがけっこう素早く、しかもうまい具合に献立が決まるのが不思議ですけどね。

家で考える時は、料理番組とかネットとか見ながら、新しいものをひとつぐらい加えて献立を考えることが多いかな。

献立と同時に「段取り」も考えます。

これがけっこう私にとっては大事なんです。昼のうちに煮物は作っておいて味をしみこませて、サラダは夕方子供の習い事から帰宅してすぐ作ろう、その間に洗濯物をとりこんで、学校の連絡帳をチェックしておく、みたいに、一日というか半日というか、家事の流れを頭の中でシミュレーションしておくんです。するとわりとすべてがスムーズにいく感じがしますね。

献立が決まらないと、そのシュミレーションもうまくいかなくて、なんとなくズルズル、だらだらしてしまうんです。

なので、私の家事は夕飯の献立作りを中心にしているのです。